自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2014年3月11日火曜日

小さな革命

ありきたりなことかもしれないが、改めて対話の奥深さを感じている。
でも、大きな変化を望むときは大きな行動を起こしたくなる。そりゃ、そうだ。ひっくり返したい。

対話は小さく、そしてゆっくり。「善きことはカタツムリの速度で起こる」と誰かは言った。対話には根気もいれば、勇気もいる。そして、対話には作法もある。対話は自らの意見をとおすことでもなければ、話に決着をつけることでもない。対話はぼくたちがつくりあげているこの多様な世界に積極的に飛び込むことだと思う。

ぼくたちは対話の機会に日々多様な場面で出会う。
対話がうまくいけば、人がかかえる恐怖心や劣等感、更には嫌悪感までがやわらぎ、それらの感情は「理解」という名の方角へ舵が切られる。

対話を軸にした小さな革命が各地ではじまっている。




2014年1月3日金曜日

Ubuntu

2014年はこの言葉ではじめたい。

「Ubuntu」

わたしはあなたが存在しているが故に、わたしである。

共有
思いやり
真実
尊厳
コミュニティ

などなど多くの意味を持つこの言葉は、時に人の人間性を表現する言葉として、時には地球上全てのいのちのつながりをあらわす言葉として南アフリカを中心につかわれる言葉、というより哲学だ。去年の暮れに亡くなったネルソン マンデラ氏はUbuntuの精神とは、「ひとりの旅人が自らの村に来たとすれば、どこから来たか訪ねる前に、まず水と食を与える」ことだと言う。

はじめの一歩はギフトすることからはじまるのかもしれない。
行き詰まった政治も、行き詰まった教育も、行き詰まった経済も、愚痴はさておき、自らにできること(しかできないこと)を提案・提示・提言してこそ道はひらけていくのだろう。ただ、現状に変化を求めれば求めるほど、何かを「すること」にとらわれてしまいがちになってしまう。成し遂げること、達成することは否定しない。ぼく自身、達成感や成果を生きる糧にすることもある。ただ、「すること」を生き方の本質にしてしまうと疲れ果ててしまうのではないかと思う。

ガンディーはぼくらに「Do the change (変化をしよう)」とは言わず、「Be the change(変化になろう)」と教えてくれた。ぼくらはHuman Doingではない。在り方こそが問われるHuman Beingだ。
このひとつの暦の変わり目に、この時を共有する全ての生命に感謝します。
明けましておめでとうございます。

世界平和






2013年12月9日月曜日

MANDELA

無事に福岡と豊前でのトークが終わった。楽しい時間をありがとう。



12月5日、ネルソン マンデラが亡くなった。南アフリカの父として親しまれ、アパルトヘイトに反対する運動を国内外に発信した。1964年には国家反逆罪で27年間投獄された。27年間。
1994年には南アフリカの大統領に就任し、民族間の和解と対話に向けた政策をすすめた。

ネルソン マンデラを連想する時に、多くの人は彼の笑顔を思い浮かべるのではないかと思う。27年間不当な理由で刑務所で過ごしたにも関わらず、彼から憎しみの言葉はでてこない。無論、人々は彼を聖人と呼ぶ。ぼくもそんな風に思う。しかし、彼は常に強調して言うのだ。成し遂げられた多くの事柄は決して彼自身のものではなく、ひとつの共同体としての功績なのだと。ヒーローではないと。

1990年、釈放されたその年に彼は世界を飛び回り各地で支援を求めた。
立ち寄った先のひとつがここ日本。
まったくの躊躇もなく、その場に行くことを決めたぼくの母はこの歴史的な時を娘と共有したいとの思いで、彼女の中学校の担任に相談した。ぼくの姉の担任も素晴らしい機会だと母に共感し、学校を休んで東京に行くことに同意した。

ぼくたちは幾度となく、平和な世の中を築こうとする先人に出会う。
かれらの言葉や行動は次第にぼくらのものとなり、ぼくらに力を与えてくれる。
そして、気づかせてくれる。
Be the change you wish to see in the world. 
ぼくたちが変化になるんだ。




2013年11月28日木曜日

師走のトーク

今日はまたぐっと寒くなった。
色づいた山も少しずつ葉をからしていく。
寒い冬も心はぽかぽかで迎えたい。


















12月1日は福岡でイベントに参加します。楽しみです。
詳細は以下の通りです:


12月1日(日)
アントン眞理雄お話会 午後1時〜
参加費 500円
村上レシピ」  福岡県筑紫郡那珂川西畑155
092−953−3921



12月7日(土)
アントン眞理雄お話会 午後1時〜
参加費 1500円(飲み物&おやつ付き)
農家民宿 まんてん星」 福岡県豊前市大字篠瀬95
080−6443−9562



2013年11月7日木曜日

ボブとナーガとゴウジュン 11/9

今日は少しだけ宣伝。
久しぶりに百種MOMOKUSAでのLIVE。
平和の歌をうたい続ける内田ボブと地球を詠む詩人、ナーガ。
LIVE前には国東半島両子寺僧侶の寺田豪淳さんの話もある。



    〜内田ボブ&ナーガLIVE!〜

日時:11月9日(土)
   17:00 開場
   18:00 寺田豪淳トーク
   19:00 内田ボブ&ナーガLIVE
 場所:百種MOMOKUSA
              豊後高田市松行9−1
    http://www.momokusa.com/access/
料金:シングル 事前予約 1500円  当日2000円
   ペア   事前予約 2500円  当日3000円
   (18歳以下は無料)
食事:百種弁当   700円
   蕗の薹 そば 600円
   あやかキッチン
予約:info@momokusa.com
            090-5726-5815(チャック)



2013年10月23日水曜日

屋久島


屋久島と言えば、「世界遺産」であることをまず思い浮かべるだろう。ぼくもそうだ。
今回、初めて屋久島に足を踏み入れた。一日目はフェリーの欠航で、火山灰が降る鹿児島市にもう1泊。翌日、条件付き(波が高ければ港に戻る)で出港したフェリーはファンタジー映画にでもでてきそうな火山島(硫黄島)を横切りながら、屋久島に入港した。屋久島は世界で最も降水量の多い場所のひとつだ。だから、晴れ間は期待しないことにした。

ぼくが住む国東半島に形も大きさも良く似た屋久島は周囲135キロ。車があれば、海岸線をぐるっと1周できる。国東半島の最高峰は両子山720メートル。屋久島の最高峰は宮之浦岳1936メートル。九州で1〜7番目までの標高をほこる山々がこの小さな島にあると言うからびっくり。冬になれば、標高の高いところでは雪が1メートル積もることもある。更に集落が点在する海沿いは南の島らしく、ブーゲンビリアやヘゴの木なんかも見られる。今回は3日しかなかったので白谷雲水峡、ヤクスギランド、そして宮之浦岳を訪れることにしていた。

屋久島の森は本当にもののけの森だった。ぼくのカメラではその圧倒的な存在感を写し出すことはむずかしい。「杉」と言えば今では荒れた森の代名詞のようになってしまったが、杉の本来の姿を見させてもらった気がした。神社やお寺で見るようなたくましい杉がモミやツガなどの大木と共に根深く、空高くそびえ立っていた。


屋久杉は江戸時代から本格的な伐採がはじまったそうだ。
島は屋久杉を販売することで得た恩恵も大きいが、失ったものは更に大きいのかもしれない。ただ、こうして現在を生きるぼくがまだ屋久島の森に入って感動できるのも、70年代くらいから急ピッチで行われた保全活動があったからこそなのだと思う。


屋久島は世界遺産だが、きっと地球上のどの場所も世界遺産であったことを忘れてはいけない。過剰な都市化や産業化に罪を着せることは簡単だが、それらが起きた時には起きた時の事情と現実がある。だからこそ、失われたものに憂うだけでなく、再生できるものに希望を見いだすことを心に刻みたい。
ぼくたちが、「今」に責任をもつことで、世界の遺産は過去のものでなく、これからのものになっていくのだと思う。



宮之浦岳ではまさかの晴天に恵まれ、ウキウキ気分で下山した。
途中、あまりの美しさに我慢できず川に飛び込んだ。冷たい!そして、なんだか嬉しい。




2013年10月7日月曜日

お話会

昨日、沖縄から九州へ帰ってきた。台風がさったかと思えば、もうひとつ大きいのがきている。ただ「台風がさった」とは言っても、さった台風は今中国にたどり着き、大きな被害を及ぼしている。自然は時に猛威をふるうが、国境など存在しないことを教えてくれたり、困っている人に何かしてあげたいなどの慈悲の心を大きくしてくれたりもする。


今日は久しぶりのお話会。
以前もお話会を企画してくださった中津市にあるカフェ「クラック」。
今回は夏にヨーロッパに行って見て感じたことを中心に、話ができたらと思っている。

このブログを読んで下さっている方、ぼくのトークに参加したことがある方ならだいたい分かると思うが、人前で話をする機会を頂いた時にぼくは自らの生い立ち(ルーツ)を中心に話す。ルーツといっても、さかのぼるのはだいたいひいお爺ちゃんくらいまで。
アメリカ国籍を持ったぼくが、日本で生まれ育ち、アメリカや南米で過ごしながら、どのようなことに葛藤を感じ、どのような世界観に希望を感じるのか、そんなことを聞き手のみなさんと共有させてもらっている。

同時にぼくにとって質疑応答の時間もとても大事な時間。話を聞いて、疑問に思ったこと、異議を唱えたいこと、もっと深く話し合いたいこと、それらをすくいあげ皆で言葉にしていく。一方的な話で得る情報は時がたてば次第にうすれていく。しかし、自らもその議論に加わり、頭をひねらせ、人の意見に耳を傾けたアクティブな時間は自分のものになる。だからこそ、ぼくにとってトークは場づくりでもある。
これからもいろいろなところで場づくりをしていきたい。