自己紹介

自分の写真
豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2012年3月29日木曜日

山の頂から

今年発の由布岳。去年は2回登って、来週もう1回登る。
大田村のポールさん率いるWALKJAPANの国東トレックの一環で最終日が由布院。明日、国東に帰ります。
それにしても、ただ歩いているだけででっかい山の頂に到達してしまうことに毎回驚くというか、感動する。この足に感謝。


しばらく、家を離れると子どもたちの瞳、声、動作を愛おしく想う。
大人としてこの世界と向き合い、必要な変化を起こしていきたい。

子どもたちよ、健やかに喜びの中で、自らを気持ちよく生きよう。



2012年3月20日火曜日

これは必見!

どこまで、蝕まれたシステムなのか。。。フクシマは決して終わっていない。
今年も変化の年。このままでは私たちは未来を守れない。問題に終わらせず、行動にうつしていこう。
行動はひとりひとり違うのだと思う。自らの表現方法を確立し、前へ。
Power to the people, power to the future. 
海外のメディアがこうした番組をつくってくれるのは、日本にとってもこの上なくありがたいこと。

↓以下をクリック

http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyyyyyy_news

久しぶりに静岡に帰ってきている。そう、わたしは静岡の天竜というところの出身。生まれたのは「懐山」という集落。幼いころはこの場所しか知らず、ここがわたしの現実だった。時に家族でアメリカに行ったりもしたが、天竜が自らの現実であるような形ではニューヨークもサンフランシスコも存在していなかった。

朝、散歩していると家は多くなっている割には子供が少ない。わたしが子供の頃は田舎とはいえ、子供もいっぱいいて子供たちの自立した世界があった。森の中に基地をつくり、猿を追いかけ、ボールを蹴った。
友達はほとんど街に出ているが、残された母親たち、父親たちは寂しげな目で「マリオくん、元気け?かわらんじゃん」と。
時折、子供たちにもすれ違う。痩せた背の高いおじさんに目を丸くして「お、おはようございます」。紫外線で黒くなってしまう私の眼鏡にびっくりしているのだろう。。。「おじさんもつい最近まではあんたらみたいに、ここらで遊んでただに」
ここ天竜は懐かしい記憶の蘇る場所。


「懐かしい未来」という言葉がある。
それは、きっと自分をどこか安心させてくれる場所。懐かしさとは過ぎ去った事柄においてつかわれるが、未来に懐かしさを想うことやはじめて会った人に懐かしさを感じることは、心の安らぎと繋がるところがあるのだと思う。

冬も終わり、春がはじまる。
今年はどんな芽がでて、どんな花を咲かせるのだろう。

2012年3月14日水曜日

ふるさと

素晴らしい人がたくさんいる。今世、素晴らしい人にたくさん出会ってきた。
そこには、喜びがあり、楽があり、愛がある。人を、地球を信じたい。どんな世界であっても、その心だけは見失いたくない。そう思う。

311。「未来へつなごう!いのちのわ」は太陽の輝きに恵まれ、青空のもと開催された。若草公園には仲間と何度も下見に行っていたのだが、毎回雨。2月は雨が多かった。日本中で。そんな中、3月10日と11日は晴れた。よく晴れた。

3月11日、さよなら原発のパレードを終え、1000人もの人が再び公園に集まった。
何重にも折り重なる輪をつくり、皆が手をつないだ。わたし達は心がひとつであったことを思い出した。お寺の鐘が鳴り響いた瞬間、強い風が吹いた。。。午後2時46分。
列島各地、世界各地で意識がひとつになり、人間は慈しみの世界を願った。

「志をはたして、いつの日にか帰らん」

幸せな心のふるさとをわたし達ひとりひとりに。

みんな、いつもありがとう。

2012年3月7日水曜日

なんだったんだろう

311とは、一体なんだったのだろう。最近、そんなことをよく思う。もちろん、2011年3月11日は東日本大震災が起きた日であるのだけど、わたし達が合言葉のように「311」と言う時にはそこには何があるのか。。。

去年の春にはじまった国東源帰のプロジェクトでは、「源に帰ること」や「自然と共鳴したくらしに学ぶこと」、そして「311を共有すること」を謳った。いずれも、メッセージ性のある抽象的な概念だ。311はたくさんの命を消し去り、個々に内在する不安を大きくし、家族を引き裂き、自然の偉大さを見せ、絶望をもちらつかせた。無神論者でさえ、311を「神からの警告のようなもの」と捉えるほど。それほど、この列島に住む、ないしはこの列島とのつながりを大きく持つ人に痛烈なインパクトを与えた。311は以前から反原発運動や経済至上主義に対し意思表示をしてきた人にとっては「希望の光」としても存在する。

闇に在って、見える光がある。何度も書くが、311は大きな悲しみ、絶望をこの世につくった。被災した人々、家族を失った人々の直面している闇はそう簡単には癒えない。街を元に戻すこと、ハードな復興は相対的に見れば簡単だ。しかし、元に戻らないもの、取り戻せないものに本当の悲しみがある。311はわたし達に何を教えてくれているのか。

闇から光を見いだす力だと思う。

これは、本当に大変なこと。本当につらいこと。しかし、しなければいけないこと。
わたし達は闇をみた。共有した。どんなに、しんどくてもそこから光を、希望を見いだしていかなければいけない。なぜなら、いのちを紡ぐ必要があるから。

全ては自らの受け止め方。非難する時もある、問題提起することもある。しかし、問題は問題にしてはじめて問題になる。目に前にあるものは、あなたに何を伝えているのか。その現実に対し、自分をどう動かすか。問題によって、自分を形成するのではなく、問題なくしても物事の本質を見いだせる自分を見つけよう。

このどんよりとした天気がわたし達に何を伝えているのか。
今日という時に感謝して。

2012年3月4日日曜日

311

3月10日&11日
若草公園 まずはつながることから。忘れないことから。