自己紹介

自分の写真
豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2012年12月31日月曜日

world peace.



一期一会。

マンハッタンで育った母が来日した当初から大切にしているのが「書道」
天竜の実家に帰ったら、彼女のこの作品が迎えてくれた。
そうだ、そうだ。今年もたくさんの人々と出会い、出会いからうまれた更なる出会いもあった。この一瞬を生きるということは当たり前のようで、どこか難しい。
わたしは畑を耕していたり、温泉につかっていたり、夕日を眺めていたりする時なんかに一瞬を生きる喜びを味わう。

一昨日の夕暮れ、富士山の方向をちらっと見たら大きな大きな花火があがっていた。。。と思ったら巨大な満月だった。あんなに大きな満月を見るのは産まれてはじめて。

スウェーデン、ニューヨーク、LAから姉妹が帰って静岡で家族大集合。
のんびり過ごしながら、昨夜は「MARLEY」のドキュメンタリーを観ながら盛り上がった。

来年もやりたいこと多し、やらなければいけないことも多々。
さあ、あなたにしかできないことを。

世界平和心よりお祈り申し上げます。









2012年12月20日木曜日

政治文化

わたしは、日本列島で生まれ育ちながらもこの国の選挙権はもっていない。
しかしながら、この列島に住むひとりとして、今回の国政選挙は大切だと思っていた。

メディアの報道の仕方からすれば、早くから自民党が優勢で、衆議院が解散された際には自民党政権が誕生すると報じていた。自民党の総裁選においては、時の政権が直面している諸問題はさておき、福島や東日本の広範囲で被曝している人々はさておき、たっぷり時間をとっては自民党の総裁選を大きく取り上げた。その後は領土問題とされる報道や北朝鮮のミサイル発射だどうのこうの。。。テレビをみる人々は煽りあおり続けられた。テレビをみないので分からないが、たぶん選挙が終わって領土問題の報道は少しは減ったのではないかと思う。

まず、ひとつ提案したい。
テレビをみる時間を少しずつ減らしていこう。
時のニュースを知ることは重要だし、物事の報道のされ方をみる上では勉強にはなるのかもしれないが、どうもテレビの影響はあまりに大きい。Gil Scott-Heronがいつか言ったように、「The revolution will not be televised...」。カクメイとは報道されないもの。つまり、テレビをみることで自らの動きや思考は抑制され、この世界への絶望も次第に増大していく。

今回の選挙の投票率の低さは不自然だが、もし本当に投票率が低かったとしたら、やはり20代〜30代が最も低いのではと思ってしまう(そうでないかもしれない)。
同時に、2011年にフクシマを経験しているこの列島でまたもや原発を推進する政権が誕生することの異常さを理解しなければいけない。その為には、自らと同じ考えや世界観を持った人々とのつながりを強くすることも大切だが、同じ世界に生きていない人との交流も欠かせないとわたしは思う。政治的には山本太郎さんが力説したように、基本的にはAとBの闘いなのかもしれない。ただ、この世界は本質的に多様で、皆いろいろな物語の下、生き方を決断している。分断すること、創造された「境」のもと自身のアイデンティティーを形成していくことは国家というひとつの時代が実に巧みにやってきたことだと思う。ただ、これからは本当の意味で独立する時代なのかもしれない。それは、国家から自らが独立するということ。国政に参加することが大切ではないと言っているのではなく、政治がピラミッドの一番上に君臨しているわけではないということを知ることだと思う。

今、京都にいる。
昨日はアメリカ国民である2人の友人と悪夢のようなブッシュ政権を思い出していた。
アメリカは8年間ブッシュ政権を経験したことでオバマが誕生した。ブッシュなくしては、オバマは誕生しなかったとひとりは語った。オバマが政治的にいろいろな欠点を有していることは言うまでもないが、彼が大統領になったことでアメリカ国民に与えた意識の変化は計り知れないとわたしは思う。大統領=白人のおじさんであったアメリカにおいて、アメリカで育つ子どもたちの世界観はがらりと変わった。

平和憲法の改正を謳う党が日本をリードすることになった。徴兵制の話もある。
311においてもそうだったように、命を脅かす政策を許さないのは母親だ。政治的に言えば母親がこの日本において鍵を握る有権者層なのではないかとなんとなく思う。それは国政だけではなく、地方選挙も同じだと思う。

そして、最後に言いたい。
やはり、変化はひとりひとりの意識から起こり、それが連なり、文化となるのだと思う。
投票率は低いのも政治文化の問題なのだろう。今回の選挙結果を受けて、落胆した人は数知れないと思う。ただ、望みある毎日を生きていく私たちの意志は変えられない。

2012年12月14日金曜日

今日は宇生(うみ)の誕生日。
3年前の12月14日、彼はこの世に誕生した。
これ以上の幸せはないとその時思った。

わたしたちの大切な未来。
この選挙も同じ。
子どもの視点を忘れないことを大切にしよう。

「なんで、原発あるの?」
「なんで、戦争しようとするの?」

わたしたちは幸せを平和を選び続けよう。
命あるこの時を生き生きと、清々しく。

今日というこの日に感謝。

宇生、ありがとう。愛してる。




2012年12月1日土曜日

政(まつりごと)

衆議院が解散したことで、急ピッチで政治が動きはじめている。
解散したことで、政治が動き出すというのもどこか矛盾があるが。そんな風に感じる。
なにせ、ポスト311初の国を舞台にした選挙。
国家という枠組み自体に違和感をもっているわたしだけれども、国家の枠組みを超えるプロセスとして国家として決められていくたくさんの事柄に選挙権のある一人一人が参加していくことには大きな意義を感じる。

東京都知事選を見ていて思ったが、多様性に満ちたこの日本で、東京という重要な街を引っ張っていこうとしている候補者9人全てが男性で、その内7人が60代を超えていて、その内4人は70代後半から80代前半の方であることにちょっとびっくりした。
高齢であろうと、政治に関わる権利は認められるはずだし、出てはいけないとは言わない。でも、政治に参加する上で自らの声を反映してくれるだろうと思える候補に票は投じるもの。男性がいて、女性がいて、若者がいて、多文化な人もいるこの日本で。。。首を傾げてしまうのは私だけではないと思う。

友人が興味深い記事をfacebookに転載していた。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1208/20/news008.html

20代の投票率は、シニア世代の半分以下。
つまり、ただ若い人が選挙に行くだけで日本の形はどういう方向であれガラリと変わる可能性があるということ。

わたしの政治的アプローチはこんな感じ。
政治で世界が全て変わるとは思ってない。
これは悲観的に捉えているということではなくて、この世界は政治という世界以外にもいろいろな領域が存在し、それらを通して起きる変化も多々あるということ。ただ、政治はその数多くある領域の中でも大切な領域だと思う。音楽を通して変化や平和を発信する人もいる。祈る人もいる。大地を耕す人もいる。
そして、政治もある。
なにせ政治に参加できるということが素晴らしいと思う。楽しいと思う。




わたし自身も今年の暮れからみどりの政治をはじめることになった。
みどりの政治と言っても漠然としているのだが、具体的に言えば「緑の党おおいた」を大分市ぶらぼうファームの神田京子さんと共に率いることになった(神田京子さんは2月下旬に告示される大分市議会選に立候補する)。
あえて「率いる」と大げさに言ってみた。なぜなら、それくらいの意気込みを要する政治的局面にこの列島はきていると思うから。若いころから、マルコムX、ゲバラ、ルムンバ、マンデラ、キング、ガンディーなど様々な革命家たちの動きに惹かれてきた。。。
だけど、これからの革命はもっと個人的なところからはじまっていく(る)のかもしれない。

緑の党は、英語で表現する場合、たいてい「GREENS」と言う。
直訳すれば「緑の人々」だったり「みどり」だったりする。
実際的には党(グループ)であるのだけれど、党であることよりも、過去に学び、より良い現在と未来を共に創っていくことを強調していきたい。
なぜなら、どの政党を支持するというより、まずはひとりひとりが立ち止まり本当に深く考えていくことから政治変化は起きると思うから。

わたしは原発のない未来を子どもたちに残したい、世界に平和が訪れてほしいと思っている。そんな想いから政治にも責任のある関わり方をしたいと思った。

人と触れ合い、コミュニケートする中でほとんどの人がこの人生において「幸せにいきたい」「子どもたちを大切に育んでいきたい」「世界が平和であってほしい」となんとなく「イイコト」を思っている。そんな想いを態度として、暮らしの場面、政治の場面で表現できたらどんなに素晴らしいかと思う。

みなの清き一票に力あり。

※ちなみにこんなプロジェクトもあります↓

せんきょCAMP