自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年1月24日木曜日

河野さんのお米

一昨年はうちもお米をつくったのだけど、去年は手が回らなかった。今年はどうするか。
やはり、うちはお米の消費量も多いし、なにせ大好きだし、なんとか自給できたらとの思いはある。去年は以前からお世話になっている農家さんからお米を購入した。無農薬とまではいかずとも、低農薬でがんばっている。山の天辺でつくられているこのお米は国東半島でも何度も賞をとる程美味しいお米。ただ、かれらの田んぼを一度も見た事がなかったので、訪れてみることにした。





そこは、美しい田んぼが広がり、茶畑があり、神社があり、海が望める。
人の手で保たれている風景だ。


お米を頂いている河野さん宅に行くとお茶をいれてくれ、縁側でゆっくりお話をした。
「あんたんとこは子どもは何人おるん?」
「あ、うちは2人です」
「少ないな〜」
「仕事はどこにでよんかえ?」
「あ、いろいろな事をしてます」
「そうかえ」

こんな会話が少し続いた後に、河野さんの営む農業の話をした。
旦那さんが見当たらなかったので聞いてみると、農作業の最中にトラクターにひかれて今は足が不自由なのだと知った。河野さんのまわりでも農業や林業でケガをする人は多々いると言う。ちなみに、河野さん夫妻は既に80近い。わたしより半世紀近くも先輩の夫婦がお米、椎茸、梨、みかんと栽培している。頭が下がるだけではなく、この日本列島の食べ物事情はいったいどうなっているのか、そしてどうなっていくのかと思う。梨はもうやっていけないから、数十年前に植えた木も病気で他の農家に迷惑をかけないようにと切ってしまうのだと言う。遠くを見つめながら話す河野さんの目。巡り巡る日々を農業をもくもくと営みながら生きてきたのだろう。

人間の手で守られてきた風景に思いを馳せる。




2013年1月18日金曜日

MORE LOVE.

雲ヶ岳。圧倒されそうな名前だが、国東の山々はどれもそう高くない。
弘法大師が奉られ、巨石からは水が滴りおちている。みぞれが降る中頂上を目指した。
そこから、隣の山、御許山へ。タブ、スギ、ムクなどの大きな大きな木がある森をぬけた所に宇佐神宮の奥宮大元神社はある。一面真っ白い雪に覆われていて、そこに足跡をつけるのに躊躇したが、初詣。良い年になりますように。わたしにとっても、あなたにとっても。
そこから、更に2時間程下ると宇佐神宮に入る。いつもは人が多い宇佐神宮だが、今日は天気のせいか御許山と同じ静けさだ。
この道のりを案内してくれたのは国東を歩き続け、その素晴らしさWALKJAPANという形で世界中に発信し続けているポールさん。ありがとう。



こんな詩に出会った:
「まちがった行いと正しい行いという思考を超えたところに、野原が広がっています。そこで逢いましょう」
ジェラルディン・ルミというイスラム神秘主義の詩人。

産まれた時から、数々の経験を経て、家族、隣人、友人、地域、国、文化などの影響を受けながら私たちは価値観や世界観をみにつけていくのだと思う。何かに対して正しいと思える気持ち、または自らの行動が良いことだと思うこと。誰にでもある。正義感や使命感が強くなりがちなわたしなんかはけっこう多い。生きていく中で何かに対して正しいと感じることは生きる原動力にすらなる。例えば、この間の衆議院選挙。
わたしは選挙権はないのだけど、原発は必要ないと思ってるし、TPPも大問題だと思っている。選挙権があればきっと共産党や社民党や未来の党なんかに一票をいれていたんじゃないかなあと思う。それが、正しいと思うから。
選挙制度に問題があったとはいえ結果は再稼働賛成、憲法改正の自民党がかなりの議席を獲得した。それを、正しいと思う人がいるから。
こんな多様な正しさ、時には対峙した正しさがあるこの世界で事をすすめていくのはなかなか難しいようにみえる。わたし達の未来は正しさの競い合いにあるのか。。。そうは思いたくない。

人間関係においてはもっと分かりやすいのかもしれない。
自分が正しいと思っていた考え方が相手にとっては決してそうではなかったという体験を誰もがしたことがあると思う。自分の正義感が相手の劣等感を大きくすることだってある。もし、政治においても人間関係においても最終的な目的が安心や幸せだとしたら自らの正義感を押し進めることは果たして効果的なのだろうか。相互の正義感(訴え)の根底にはどんな必要性があるのか耳を傾ける時間の余裕も必要かもしれない。
ただ、市民運動ではそんな時間の余裕が与えられないのが現実なのかもしれないが。

もっともっと耳を傾ける時間。もっともっと相手の言わんとしている事を理解する時間。
MORE LOVE. MORE LOVE.







2013年1月11日金曜日

九州へ

年末から静岡は天竜に来てる。
自分が生まれ育った場所だ。普段は年が明けたら帰るのだけど、今回はゆっくり。明日、九州に帰る。わたしが住む家とは違い両親の家は暖かくて、楽。薪もたくさんあるし。
それにしても、冬の静岡はよく晴れること。夕方になれば地平線から何層にも連なる虹色の空。お見事。

小学生の時からの友人等と何度か会った。昔を思い出しては笑い、喜んだ。誰かと何かを共有できることはとってもシンプルだけど大きな喜び。このブログもそうだ。自分のちょっとした考えや、世界観をこの場で共有し、読んでくれている人がいるのだと思うとありがたい。気も引き締まる。

実家に帰ると必ず子どもの時のアルバムをのぞく。昔の自分が今の自分に何か伝えてくれるような気がするから。何に喜び、何に悲しみ、何にワクワクしていたのか。


  




明日から百種momokusaに帰り、春に向けた準備。百種はシンプルなリトリートセンターとして花を咲かせようとしている。
国東半島を訪れる際にはいろいろな人々に立ち寄っていただきたい。