自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年7月24日水曜日

選挙と草刈り

参議院選挙が終わってみて思うこと。

地方議会に緑の声(平和の声)をもっと届けていきたい。その声は柔軟性のある多様性を持ち合わせた人々によって届けられるといいと思う。特に若者。
地方議会に参加することでみなが住む各々の地域から政治文化がうまれていく。正木高志さんが「リッコウホ」というプロジェクトを通して以前から発信していることだ。

日本では国政選挙は3年間ない。
三宅洋平さんが巧みに企てたように、選挙はマツリゴト。でも、毎年あるものではない。
だからこそ、日々の生活の連続から自らを磨き個々の意識を高める。そして、その個々の意識が大きくつながり文化として波を立たせ新しい時代は進行していく。

国政選挙の重要性は言う間までもないが、同時に国を超えた平和なネットワークを更に見える化していきたいという思いがある。それに向けた具体的な夢を見ていきたい。

今回の選挙では特に三宅洋平さんに様々な事を呼び覚ましてもらった。
自分の中にある志を気持ちよく肯定できる選挙期間だった。感謝。。。


そんなこんなを思いながら今日もまた終わりなき草刈りの日々。


2013年7月20日土曜日

まだ間に合う!

いよいよ明日が参議院選挙の投票日。
一昨日、わたしが住むこの町で緑の党のビラのポスティングをしてきた。
「暑い、こんな田舎で配って意味があるのか、もう結果は決まっている、、、」などなどのネガティブバイブレーションが自分の中で漂いそうになる度に本気で動いている人たちのことをおもった。よし、がんばろ。

ポスティングしたのは、この田舎でも唯一と言っていい住宅街。やっかいなことに小学生の下校時間とがっつり重なってしまい、ランドセルをしょったおチビ達が背の高い、汗だくのヒゲのおじさんを緊張した眼差しで見ていく。今後、ポスティングする時は違うメガネをかけよう。わたしのメガネは紫外線に反応して外に出るとサングラスになってしまう。これがどうやら威圧感を増大させてしまうみたい。こうなったら、笑顔だ。しかし、あんまりニヤニヤするのも良くない。。。なんてどうでも良い妄想を頭の中で繰り広げながらひたすら歩いた。ビラをポストに入れたり、手渡ししたり。
選挙権もないのになんでやるんだろう?
「選挙権があろうがなかろうが、日本列島が自分のホームであることは変わらない」と自分自身と確認する。よし、がんばろ。


夕立ちが来そうだったので、引き返すことにした。
地元産の大きなスイカが八百屋に「300円」とあったので買って帰ることにした。「このスイカ安いですね」とわたし。「食べてみて美味しくなかったら言ってね」とお店のおばちゃん(すんごく美味しかった)。彼女は言った、「日本語がとってもお上手ですね、もう長いんですか?」「はい、日本で生まれ育ったので。この町には5年近く住んでいます」。「へ〜、こんな田舎に国際人が住んじょるとは思わんかったわ〜」。ま、ここまではいつも通りというかいつものパターンだ。しかし、ここからは普段と違った。たわいもない会話から彼女が先にきりだした。「最近はここでも原発の事故のあと、移住してくる人なんかも増えたらしいわね。」へ〜、そういうことも知ってるんだ。「安部首相はまだ原発再稼働しようとしてるし、海外に輸出しようとしてるし、信じられんわ!」お〜、話がおもしろくなってきた。「こんな地震も多い国で、原発なんかいかん。政府もメディアも何も伝えない」だんだん、話がディープになってきた。「うちの旦那はね、もしもの時の為に備蓄もしとかなきゃって言ってるのよ。。。」ワオ。「ちょっと渡したいものがあるので、車にとってきます!」急いで車にあった緑の党のビラをとってきて彼女に渡した。「わたし緑の党という政党を支持していて。。。」とわたしが言うと、「あ!緑の党ね。うちの旦那もこの党が一番いいって言っちょる。じゃあうちもここにいれるけん〜」。1票獲得!

やはり、政治の基本は対話だ。対話という土台があってはじめて民主主義が成熟していく。その対話は同じ思いを共有する人とのみするものでは決してなく、常日頃から積み重ねていくものだと思う。わたし達の中にある思い込みや固定概念が実際にはつながれる多くの人とのつながりを断絶してしまうことがある。そして、このつながりは同じ政党を支持するから生まれるのではなく、この地球の上にたつ同じ人間だからこそうまれる。
だから、まだ間に合う。きっと間に合う。対話を続けよう。



2013年7月16日火曜日

mama africa

明日、大分県中津市にてトークします。
ありがたいことに満席のようです。
自らの話を聴いてもらうことを通して、この世界を皆で考えより良くしていくきっかけづくりを心がけています。トーク、ファシリテーションお気軽にご相談ください。



また起きてしまった。
アメリカで17歳のアフリカンアメリカンの少年が近くをパトロールしていた男性に射殺された。男性は雨の中フッドをかぶって歩いている少年を「怪しい」と判断し、結果彼の命を奪う惨事になってしまったのだ。

奴隷制度によって、アフリカ大陸から南北アメリカに連れてこられた人々は数百万人。アメリカ合衆国においてのいわゆる「奴隷解放」は1862年。しかし、その後もアフリカにルーツをも持つ人々は想像を絶するような差別と暴力にさらされ続けてきた。そして、奴隷解放の100年後に起こったのが公民権運動。アフリカ系の人々を中心に調和を望む幾千もの人々が国中で立ち上がり、より公平な世界に向け行動した。1963年、マーティンルーサーキングの「I have a dream」のスピーチには私の母親も含め25万人もの人がワシントンDCに集まりアメリカは変わるのだと信じた。しかし、キングをはじめ数えきれない程のリーダー達が60年代〜70年代の間に殺されていった。新しいアメリカを夢見た多くの人々が絶望にかられた。60年代以前に見られたような、あからさまな人種差別は減ったものの、制度化された人種差別はその後もアメリカを覆い尽くしていると言える。

そして、今回の事件だ。少年(Treyvon Martinさん)の命を奪った男性(Zimmerman氏)に一昨日無罪判決が言いわたされた。警察が正当防衛の名のもとにアフリカンアメリカンの男性の命を奪う事件は後を絶たない(今回のように被害者はアフリカンアメリカン、加害者はいわゆる「白人」ないしはアフリカンアメリカンではないことがほとんど)しかし、これらの事件でまともな判決が下されることは少ない。今アメリカ中で「No Justice, No peace」と憤りをあらわにした人たちが街を練り歩いている。

2011年、国東半島から祝島への平和巡礼の最中「怪しい、こわい」との通報を受けた私服警官2名がビーチで休んでいたわたしのもとへやってきたことを思い出す。平和な日本では、幸い怪しさ故に殺されることはないが、ひとりひとりの中に存在する恐怖はどこから生まれるのか。。。恐怖をもって世界が変わることはない。








2013年7月4日木曜日

高江座り込み

夏の沖縄は美しい。つくづくそう思う。

特に今はやんばる(北部)で過ごしていることもあって、昼間は川に行き、夕方は海で泳ぎ、ビーチで夕食をとるという贅沢な時間を過ごしている。
贅沢とは、心がのんびりできる状態のことを言うのではと思ったりする。
子ども達も夕涼みが大のお気に入りのようだ。
日中は何かと忙しく遊んでいる。
昨日は粘土のケーキをごちそうしてくれた「パパ!ケーキできたよ!ブルーベリーと、豚肉と、キリンのケーキ。美味しいから、食べてみて!」。。。



やんばると言えば、豊かな自然を思うのだが、それらを蝕む現実もやはり存在している。多くの方が既にご存知であるように、日本という国にあるアメリカ軍基地の約75%が沖縄に存在し、沖縄本島の約25%がアメリカ軍基地だと言われている。一概に基地と言っても、飛行場も有れば、住宅地や学校もある。そして、ここやんばるにあるのが北部訓練場ことJungle Warfare Training Center(ジャングル戦闘訓練センター)だ。訓練場自体は広大なエリアなのだけれど、この中に更に軍用ヘリコプターを離着陸できる場所を6箇所建設するという話が2007年に持ち上がり、東村高江の住民を中心とした人々が以来ゲート前で座り込みを多様な表現方法を織り交ぜ行っている。アートやオルタナティブ思想、そして反対運動が交わる高江の形は311以降日本中の脱原発運動のモデルとなったと言っても過言ではないとわたしはおもう。



座り込みに参加する人たちの思いはシンプルだ。

やんばるの豊かな自然を壊してほしくない。
平穏な暮らしを守りたい。
戦争に加担するような施設は受け入れたくない。

ありふれた言葉でしか表現できないのだが、これらの思いに共通する意識はより良い未来を残したいという意志だと思う。高江を、やんばるの自然を守ると生まれた行動は、座り込みに参加する多くの人々の意識を変え、平和を願う民は世界中へと散らばり広がっている。

国家の機能不全がいっそう顕著になっている今「平和をつくる」世界中の人々のつながりにこそ価値を想う。

やんばる 東村 高江の現状