自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年8月24日土曜日

スウェーデン日記③(ノルウェー1人旅)

スウェーデンのお隣、ノルウェーへ行ってみることにした。
ヨーロッパに来てまず驚くのが飛行機でひっととび(時には電車や車でも)でまったく別の国に行けることだ。ノルウェーはスウェーデンからはバスでも行けるし、電車でも行けるが、安さ故に飛ぶことにした。お目当てはいつかは見てみたいと思っていたフィヨルド。フィヨルドとは、ノルウェー語で「内陸部に深く入り込んだ湾」という意味らしい。

首都オスロから、ベルゲン急行に乗り西へ向かうというポピュラーなルートでフィヨルド地方を目指した。ベルゲンはノルウェー第2の都市で、降りなければオスロから7時間くらいで辿り着く。西に近づけば近づくほどのどかな麦畑の風景からダイナミックな山々へと変わっていく。ハイキングやマウンテンバイクを楽しむ為に途中下車する人も多い。自分はと言えば、オスロから標高1237m地点(!)にあるフィンセという駅を過ぎ、ミュールダルという町で下車し、そこから観光路線として人気の登山鉄道・フロム鉄道に乗りかえ、フロム渓谷を降りて行った。ここで、列車の窓から壮大な景色を見ながらひとつめの失敗に気付く。ミュールダルからフロムまでは自転車で下るべきだった!
列車の窓から見えたのは、ありえない風景の中を壮快にマウンテンバイクで下る人々。。。マウンテンバイクをミュールダルの駅でかりられる事はなんとなく知っていたが、ミュールダル駅に着くのは午後6時だし、地形もよくわからないし、1人だしと弱気になって自転車はあきらめていた。しかし、ここは8月の北欧。午後10時近くまで明るい。悔しさを感じながらも、列車からの大自然を楽しんだ。

フィヨルドの畔に位置するフロムに到着するやいなや、観光案内所に行き、周辺のハイキングマップをもらった。1人なので、無茶はできないがフィヨルドを肌で感じたいと思った。北欧の人のほとんどはびっくりするぐらい英語が上手で、すごく助かる。観光案内所のお兄さんはいくつかのルートを説明してくれたが、最後にこう付け加えた。「しばらく雨だから、景色はあまり楽しめないだろうな」。。。とりあえず、天気のことはあまり考えずにホステルにチェックインして、せっかくなのでトナカイバーガーを食べて、その日は休むことにした。

お兄さんの予想通り朝から雨だ。でも、雨の中を歩くのは慣れているし、可能な限り準備もしてきた。今日は歩く。フロムから出ているフェリーに乗り込み、まわり一体に広がる景色を見ながらアウルランに到着した。フェリーには100人くらいの観光客らしき人が乗っていたがアウルランで降りたのは自分だけ。とりあえず、ガイドブックに載っていたステーガスタイン展望ポイントを目指すことにした。村の中心から7キロ、往復で14キロ。まずは、水を買う為にスーパーを探す。ここで、ふたつめの失敗に気付く。今日は日曜日、つまりどこもやってない。しょうがない、とりあえず歩こう。良かれ悪かれ水はあまり飲む方ではないし、フィヨルドから滴る滝もある。展望ポイントまでは登山道は特になく、車道があるだけ。雨とはいえ、観光バスは上を目指していた。海抜0mから始まり、200mくらいになってくると、目線も明らかに変わり、下からは見えなかった山なども顔を出した。この山々(崖)のすごさは海から直接1000m以上もそびえ立っているところ。景観の美しさも気になるが、同時に飲み水のことや、熊はいるのかなど余計なことも気になりだした。そろそろ、滝の水でも飲もうかと思った時、道の脇に無数の赤い点があることに気付いた。ラズベリーだ!雨水もいい感じでのっかてちょうど良い水分補給。

展望ポイントは標高700mくらいのところにあった。
霧がかかっていることで、より幻想的。
山を降りた後は再びフェリーに乗り込み、この入り江をすすんでいったわけだが、最深部は1300m以上もあるというからすごい。

そして、最後の失敗がフィヨルドを1人旅したということ。
もちろん、失敗は成功のもとなので学びはあるのだけれど。
この感動を分かち合いたいと思った。
新しい環境だからこそ人と共有する喜びをほす自分がいる。
ご飯自体が美味しくても、1人で食べるのと、誰かと食べるのがまったく違う経験であるように。だからこそ、自分にとって旅のダイゴミは常に人との交流!
Norway、また来たい。






2013年8月16日金曜日

スウェーデン日記②

天気によって気分がころころ変わる自分。
今日は朝から雲ひとつない晴天だ。きもちいい!
姉の美枝が住むのはストックホルムの中でも古都と言われるガムラスタン。ストックホルムを訪れたことがある人なら必ず足を運ぶこの街の中心だ。

どこにいてもそうだが、太陽の光に当たるとその場所はみるみるうちに輝く。沖縄であっても、ハワイであっても、国東であっても、ここストックホルムであっても同じだ。特にこの街の色鮮やかな外壁は光がよく似合う。

今回は姉の所に来てるとはいえ、1人旅みたいなもの。物事を人と共有することが好きなわたしとしては、1人旅のどこか物足りなさを感じながらもひたすら歩く。ストックホルムの街くらいだったら、なんとなく歩いているとどこかに辿り着くし、どこを歩いても美しい。

この街を歩いていると、地球環境の危機もどこか遠い話に聞こえてしまうような感覚に陥る。それもそのはず、スウェーデンと言えば、環境先進国であると同時に世界幸福度指数では必ず10位以内に入るような国だ。幸福度指数が何を根拠にしているのかは分からないが、デンマークが1位で日本が90位なことにはどこか納得してしまう。。。
街であるが故に物に溢れたマテリアルな地区もあるが、風土を尊重する文化はかなり深いところで根付いている。

風土だけではない。人への尊厳や多様性もそうだ。

こちらに来て気付いたことがある。10代や20代の若者が身体などに障がいをもった友達と「普通」にお茶をしてたりする。この当たり前にあっていいような光景があまりない日本から来ると、当たり前に障がいをもった友達とお茶をしながら彼氏の話をしてたりする女子高生にはっとさせられる。学校システムの違いなんかもあるのかもしれないが、双方にオシャレをして街をぶらついている姿はどこか新鮮だ。

あまり長くない夏を思いっきり楽しもうと、ストックホルム各地で様々なコンサートやイベントが行われている。先日、スウェーデンの国会議事堂にあたる建物の目の前で北アフリカ(もしくは中東)のロックバンドのライブをみた。そこには、1000人くらいの人がいた。
わたしは観客の多様性にあっけにとられた。肌の色や国はもちろんのこと、小さな子どもから、若いカップル、おじいちゃん、おばあちゃんまでもが月夜の下、音楽を楽しんでいた。
その時、三宅洋平さんの言葉を思い出した。「世界の闇や悪を暴露する時代ももう終わりです。変わったんだってことを強く優しく大きく太く伝えていきましょう」。そう、世界は既に変わっている。
「国家」が変化についてきてないだけなんだ。

だから、本来はもっと深いはずのものを「日中関係」とかいう表現でまとめてしまう。
村であれ、県であれ、国であれの方向性に強い関心を持っている多くの人が国家や、市町村のドアをノックして、仲間に入れてもらい、世界中の人の望み(平穏かつ豊かな暮らし?)の実現に向けて政治に関わるとおもしろいと思う。そう思った。

日本国籍を持っていたら、5秒で市議会選挙でもなんでも立候補してるけどな〜。


話は変わるが、80年代、南アフリカのアパルトヘイトを見て見ぬ振りをしていたいわゆる先進国のリーダーとは裏腹にスウェーデンの首相は南アフリカの非人道的な政府を公の場でしっかりと非難し続けた。結果的にその首相は何者かに暗殺されてしまうのだが、そのような人が首相になることに感銘を受ける。
「国」や「村」の集合意識はどのようにつくられるのか。
哲学者、内山節さんが暮らす群馬県の上野村もそうだ。
上野村や祝島の人々が持つ村や島への愛はなぜ生まれるのか。
ゴルフ場や砂防ダムの建設を拒む地域と受け入れる地域の差はどこでうまれるのだろうか。アパルトヘイトに反対し、原発もやめれる国と、例えば原発を推進する国の差はどこでうまれるのだろろうか。
そんなことを考えながら、行き行く人々を眺めていた。


2013年8月12日月曜日

スウェーデン日記①

姉の美枝がストックホルムに引っ越したのは2012年1月。
わたしたち4人キョウダイで現に日本に住んでいるのはわたしだけ。
去年はアメリカの東と西両海岸にいる姉と妹を訪ねた。今年は両親も駆けつけるとのこともあってほぼ10年ぶりのヨーロッパだ。

旅する前から何かといい流れだったのだけど、極めつけにフィンランド行きのフライトがビジネスクラスへと繰り上げされた。ラッキー!あまりの心地よさに目を閉じることも忘れ、窓の外に広がるロシアの広大な大地を延々と眺めていた。目的地も去ることながら、この移動という名の宇宙旅行も悪くない。
そもそもこの旅に出たのも人生に何らかの転機を求めているからだと思う。実際に「転機を求めている」と文章にしてしまうと恥ずかしいが、きっとそれが事実だと思う。

ただ、慣れ親しんだ文化や風土の外に出てみると、新しい発見はもちろんのこと、自らが住んでいる場所の理解も深まったりする。


今回はここストックホルムに1週間くらい滞在する中で感じたものを写真を交えて紹介したいと思う。

まず、どこに行っても子どもが多い。そして、子育てにおいては老若男女みなが参加しているというイメージ。ベビカーをおしながら、散歩する夫婦、女友達、男友達。


そして、至る所にあるベンチ。日本は昔から縁側文化があるのだけれど、最近の街にはあまりベンチをみかけない。こちらのベンチはただ設置してあるというより、「ここで一休みして下さい」という意図的なメッセージがある。







そして、バス、船、馬車、路面電車などの交通機関の充実や自転車レーンにもびっくりする。わたしみたいな観光客が自転車レーンを知らずに歩いてると、四方八方から「チリンチリン」の大合唱。こんな自転車用ヘルメットも普通に販売している→スウェーデンの透明ヘルメット! そして、街中に自転車用の空気入れが設置してある。

お店などに行って感じるのが物の機能性とデザイン性。北欧のデザインは日本でも人気があるのだけれど、こちらに来てみるとホームセンターのような所に行くだけでギャラリーに行くような驚きがある。
やはり、国の風土や文化はその土地の自然と人がつくるのだと思う。今後はそれらにもう少し思いを馳せていきたい。



2013年8月7日水曜日

栂池の哲学

1945年、8月6日、午前8時15分。あれから68年。
わたしたち地球人はこの日を忘れない。そして、伝え続ける。


夏の中山道のツアーも終わり、長野で数日過ごすことにした。長野に行ったことがある人なら分かると思うけど、とにかくこの県は広い。そして、山々が圧倒的に美しい。

8月3日〜4日にかけて栂池(つがいけ)高原で農文協主催の哲学講座に参加した。講師は内山節さん。参加者は農業に携わる人を中心に、多様な物語をもった15人程のメンバーで構成されていた。1泊2日で内山さんのお話が4回、質疑応答で議論は更に深まり、交流会という形で夜までいろいろな意見や思いが飛び交った。素直に楽しかった。
テーマは「生きる世界の再建のために」だ。

内山さんは「世界」という概念について話をすすめた。。。

「世界」はわたしたちの生きる小さな「世界」からいつから地図上の「世界」へとなっていったのか。良かれ悪かれわたしたちがどこに住んでいようと広い意味での世界とつながっていることは否定できない。しかし、全体の世界が大きくなるに連れて世界の実態がぼやけていく。今、多くの人が世界というと分割された世界を考えてしまう。経済、政治、文化。。。しかし、昔の共同体の中には統合された世界があった。その要因のひとつが世界の捉え方にあるのだと内山さんは言う。現在の世界は知性で捉えるから分割されてしまう。例えば、共同体のように感覚的に捉える世界では畑を耕すことと、山仕事をすること、大工仕事をすること、神仏を信仰することは分割してとらえられない。単に「暮らしてる」ことになる。

近代社会は統合性がないが故に政治にせよ、経済にせよ、解決が見いだされにくい。そして、いつの間にか「世界」がどんどん遠くなってしまっている。ほんとは大事なことなのに、どうでも良くなってしまう。自民党が勝てば、「やっぱりね」の世界になってしまう。そして、全てが遠くにあるような幻想をつくることで政治も経済もやりたいほうだい。原発も同じやり方だ。原発の存在は多くの人が知っていた。でも、やっぱり遠くにあって、爆発してはじめて近くにあることに気づく。
その遠くにある世界を目の辺りにした多くの人が直接的に関われる社会を創りたいとの思いからつながりの世界をコミュニティや共同体というキーワードをつかって再構築しているのだと思う。

内山さんの話は多岐にわたって考えさせられるものばかりだった。ここで、全ては書けないのでわたしが彼の話を聞いて書き留めたことを箇条書きでシェアして終わりにしたいと思う。

*「人々」という概念は1700年代に誕生した。日本の場合は1900年代。
*戦争の形が剣から鉄砲へ変わる。鉄砲の玉の生産力=国家力。いつの間にか「みんな」の戦争になっていく。
*江戸時代は外との争いがないから、国力をあげて国民をつくる必要がなかった。
*「人々」という概念をつくることが支配の原理ではないか。
*最初は国がつくる国家アイデンティティーが、いつの間にか自分たちが率先して「人々」(労働者、消費者、日本人)になっていく。
*今、問題意識をもって過去を見るとヒントがうまれる。答えではない。
*未来のために。。。ではなく、過去に学び、今責任をとることが、結果的に未来の為。
*「分からない」と言えることが人の間においても協力関係、支え合いにつながっていくのではないか。
*近代社会は「分かる」世界。昔は「分からない」ことだらけ。分からないことで謙虚さを生む。


哲学の話は頭をひねる話ばかりだが、内山さんの話は頭で解決しようとするものを心(感覚)におろしていくような心地よさがあった。すごく勉強になった。

そして、何よりみなで議論し、この世界を深く考えるプロセスに大きな喜びがあった。







2013年8月2日金曜日

平等に尊く、価値ある存在

「全ての存在を意識し、感謝を送り、幸せを願います。これが、地球人としての基本的な姿勢」。

大分に住む友人、龍さんの言葉だ。素晴らしいと思う。


日本をガイドしていると、参加者からこんな↓言葉を毎日のように聞く。
「日本はなんて美しい国なんだろう。。。日本人は本当に親切だ。。。日本は水も豊富でゴミひとつ落ちていない。。。こんなに緑がたくさんあるなんて。。。日本の女性も男性も美しく凛々しい。。。日本に来ると優しくなれる。。。日本から学びたい」

とまあ、とにかくほとんどの人が「日本」と「日本人」を絶賛して帰っていく。
日本で生まれ育ったわたしも聞いてて嬉しいし、誇りに思う。そして、かれらの見解にはほぼ同感だ。何百年、何千年という月日を経て築かれてきた日本列島各地で存在する風土は実に美しいと思う。そして、この風土をつくってきた人々とこの大地に感謝と敬意を表したい。

それとは裏腹に近頃「日本人」という言葉の文脈に優越を交えるコメントをFacebookなどで目にすることが多くなった。「日本だからこそ」「日本人ならでは」「日本こそが」などという表現は国民国家という概念にしばられない時代を想像していく上でどうしても相容れない要素がある。例えば、何か課題・問題が「日本」に蓄積していたとしても、それを「日本特有のもの」にしてしまうのは、国境という枠を永続させていくことに等しい。

一概に「日本人」と言っても、その言葉が誰を指しているのかは受けてによっていろいろだと思う。選挙の話をしていれば、「日本国籍を持った人」だろうし、文化的な話をしていれば「日本で生まれ育った人」かもしれないし、歴史の話をするならば「先祖代々日本人の人」を指すのだろう。その文脈の必要に応じて「日本人」という言葉をつかうこと自体は問題ではない。

ただ、上に記したようにツアー参加者の褒め言葉は「日本」だったり「日本人」を褒めているのだけど、それはきっと自らが生きている環境や文化の中においてもそれらを取り入れていきたいという思いであって、日本(人)が他国より優れていることを発信していきたいわけではない。この地球に住む同じ人間として、地球文化をより成熟させていきたいという気持ちの現れだと思っている。

人はどこで生まれようが、親が誰であろうが、ナニジンであろうが、平等に尊く、価値ある存在。

使い古された表現だが、この時代に原点に帰りたいとの思いをこめて改めて綴る。